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登山を趣味にしている──というほど、たくさん登ってきたわけじゃありません。
でも、子どもの頃に父と登ったあの山道や、飯盒で炊いたご飯のにおいは、今でもはっきり覚えています。
今は自分が父になり、小学生の息子と小さな山を登るようになりました。
ただの運動でもなく、特別な趣味でもない。だけど、不思議と記憶に残るのが登山です。
今回は、そんな父との記憶と、今の息子との登山体験を通して、「登山って趣味としてどんな意味を持つんだろう?」と感じたことを、少しだけ書いてみようと思います。
なんとなく趣味を登山にしたら、意外な発見があった

登山はストレス発散?それとも親子で記憶に残る時間?
きっかけは、ふとしたときに思い出した父との登山の記憶でした。
小学生だった私を、父は何度か山に連れて行ってくれました。
重たいリュック、カチカチに固まった飯盒ご飯、ゴツゴツした登山道──。
今でも、そのときの光景が頭の中にはっきり残っています。
今、自分も父親になり、小学2年生の息子と向き合う毎日です。
ふと、「自分がしてもらったことを、今は息子とできるんじゃないか」と思いました。
そこで久しぶりに、親子で山に登ってみることにしたのです。
実際に登ってみると、思っていた以上に心が落ち着きました。
自然の中を歩いていると、呼吸が深くなり、頭の中がすっきりしていきます。
そして何より、親子で一緒に歩く時間そのものが、思いがけず深く記憶に残るものになりました。
たとえば、登山のメリットはこんなところです。
- 自然の中でリフレッシュできる
- 頂上に向かって一歩ずつ進むことで、達成感が生まれる
- 無理のない運動として、体にも心にもやさしい
- 親子の自然な会話が生まれ、ふだんと違う時間が過ごせる
私が特に印象に残っているのは、息子が頂上で「また登りたい」と言ってくれた一言でした。
あの瞬間、子どもの中にも何かが残ったんだな、と感じました。
“ダサい趣味” なんて言わせない。登山の静かな魅力
登山というと、「地味」「ダサい」「お金がかかりそう」といったイメージを持つ人も少なくありません。
たしかに、派手さはありませんし、泥にまみれて汗だくになることもあります。
でも、実際にやってみると、その素朴さの中に、登山ならではの深みがあることに気づきました。
歩くペースは人それぞれ。誰かと競う必要もありません。
立ち止まって水を飲んでもいいし、道を間違えて戻ることだってある。
それでも「一歩ずつ進む」ことでしか、山頂にはたどり着けない──そんな当たり前のことが、登山では身にしみます。
また、登山は性格が出やすい趣味でもあります。
焦って進む人もいれば、慎重すぎる人もいる。私はどちらかというと後者で、だいぶ慎重派。子供といっしょ、というところもありますけどね。
でも、それでもいい。自分のペースを受け入れることが大事なんだと、自然に学ぶことができました。
「登山はモテる」といった話も聞いたことがありますが、正直よくわかりません。
ただ、自然の中で静かに自分と向き合っている時間は、余計な見栄や比べごとから離れて、少し素直になれる気がします。
私の中で登山が “趣味” とは思っていません。
でも、父と登った記憶、そして今、息子と登ったあの時間は、趣味という言葉では言い表せないほど深く心に残る体験でした。
“なんとなく登った” だけかもしれません。
でも、その「なんとなく」の中に、大切な気づきがいくつも隠れていたように思います。
父と過ごした日々の中に、趣味としての登山があった

古いキャンプ道具と、忘れられないご飯の味
私の父は、20代・30代の頃に登山をよくしていたそうです。
家庭を持ってからは山から遠ざかっていたようですが、私が小学校に入ったあたりで、また山に行くようになりました。
それはたぶん、「子どもが一緒に登れる年齢になったから」だったんだと思います。
初めての登山は、どこの山だったか正確には覚えていません。でも、いくつかの風景や音、においは今もはっきり思い出せます。
古い金具のついた重たいキャンプ用のリュック、赤っぽい色の溶岩が固まった石(父がそう言っていた)。
そしてなかなか火のつかない古いガスバーナーに、飯盒で炊いた芯の残ったご飯の味。
今思えば、装備はどれも古くて、いまの軽量な道具とは比べものになりません。
でも、父にしてみれば、それが「自分にとっての登山のやり方」だったのでしょう。
道具を新しくすることよりも、「自分が昔から知っている登山」を、私といっしょにもう一度やりたかったのだと思います。
「登山は人生と似てる」なんて、あのときはわからなかった
登山中、父はよくこんなことを言っていました。
「一歩ずつしか進めないってところが、人生といっしょなんだよな、コツコツと積み重ねてやっと目標に届く」
「途中で引き返すのも選択。でも、休んでからでもまた登ればいい」
正確には覚えていませんが、たしかこんな感じのことをよく言われてた記憶があります。
当時は意味がよく分かってなかったですね。
でも、いま自分が親になってみると、あのとき父が言っていたことの意味が、すこしずつわかってきました。
登山は、ただ登るだけの行為じゃない。足を止めたり、迷ったりしながらも、「少しでも前へ進もうとすること」に意味がある──。
父はそれを言葉で伝えたかったのではなく、山を登る時間そのもので伝えたかったんじゃないかと思うようになりました。
登山は、確かに趣味かもしれません。
でも、趣味以上に、生き方や考え方をじっくりと感じられる時間でもある。
当たり前ですが小学生がそんなことを気づくはずないんですけどね。
息子と歩いた小さな山道に、趣味と登山の意味を重ねたくなった

小2の息子と登った3つの小さな山
父と登ったあの時間を思い出したとき、「今度は自分が子供に残せる側になれるんじゃないか」と思いました。
ちょうど息子が小学校2年生になり、歩く力もついてきた頃です。
最初に選んだのは、東京都内からもアクセスしやすい高尾山。
急すぎず、登りきった達成感もあって、親子で登るにはちょうどいい山です。
2回目は御岳山。少し距離がありますが、ケーブルカーも使えて、道中に話す時間もたっぷりとれました。
3回目は、あえて人の少ない低山へ。山の名前は伏せますが、ゴツゴツした岩が多く、息子は「探検みたいで楽しい!」と目を輝かせていたのが印象的でした。
登山中、私が「あと少しだよ」と声をかければ、息子も「パパもがんばれ!」と返してくれる。
登っているときは無心でも、頂上に着いた瞬間、「また行こうね」と言われると、それだけで疲れも吹き飛びますね。
何を教えたいかじゃなく、何を一緒に感じたいか
登山に連れて行くことで、「何かを教えたい」と思っていたわけではありません。
でも、ふとした瞬間に「父が自分に登山を通じて何を伝えたかったのか」が少しだけ分かるような気がしました。
登山は、きれいな景色や達成感だけじゃなくて、
- 苦しい時間をどう乗り越えるか
- 誰かと一緒に歩くとき、どう助け合うか
- 途中で座り込んでも、また立ち上がれるか
大げさかもしれませんが、そんな「答えのない問い」に向き合う時間なんだと思います。
息子に「これはこうなんだよ」と言葉で伝えるのではなく、
いっしょに登って、いっしょに汗をかいて、同じ景色を見ることの中に、自然と伝わるものがあると信じています。
登山は一見ただの “趣味” ですが、こうして親子の間に小さな記憶のかけらを残してくれる行動なんだと、実感しています。
父がしてくれたことを、今の自分が息子に返す。
それは「教える」でも「残す」でもなく、ただ“いっしょにやってみる”ことから始まるのかもしれません。
登山を通して感じたのは、「親子の時間は一瞬だけれど、ちゃんと形になって残る」ということです。
そのかけがえのない時間こそ、趣味を通じて人生に加えられる最高の価値かもしれません。
これから親子で登山を始める方へ、気軽に始められる小さな山のすすめ

親子でも安心して登れるおすすめの低山2つ
「登山にちょっと興味はあるけど、いきなり本格的な山は不安」
そんな方におすすめしたいのが、東京都近郊の“ゆるやか登山”が楽しめる山です。
ここでは、私自身が息子と登ってよかったと感じた2つの山をご紹介します。
【高尾山(東京都八王子市)】

- 都心から電車で1時間以内でアクセス可能
- 道が整備されており、スニーカーでも登れるコースあり
- 途中で休憩できる茶屋や売店も多く、トイレも充実
- ケーブルカーもあるので、無理なく登れる
→ 小学生の初登山にはぴったり。人が多いので、安心感もあります。
【御岳山(東京都青梅市)】

- ケーブルカーで中腹まで行けるため、実質の登山時間は短め
- 途中に神社や宿坊があり、文化体験も楽しめる
- 緑の中を歩く気持ちよさがあり、マイナスイオンたっぷり
→ 登山と観光の中間のようなバランスがあり、子どもが飽きずに歩けます。
どちらも“山に登る楽しさ”を無理なく体験できる場所です。
無理せず、楽しく登ることがいちばん大切です。
初心者が気をつけたい持ち物と装備のポイント
登山というと「たくさん道具が必要」と思われがちですが、最初は最低限の装備で十分です。
以下に、初心者や親子での登山に必要な持ち物を簡単にまとめます。
【親子登山・最低限の持ち物】
- 歩きやすい靴(軽登山靴 or 滑りにくいスニーカー)
- リュックサック(両手が空くもの)
- 飲み物(ペットボトルでOK)
- タオル・ティッシュ・ビニール袋
- レインコート(天候が変わりやすいので必須)
- 行動食(おにぎり、パン、チョコなど)
余裕があれば、帽子や日焼け止め、予備の靴下もあると安心です。
また、子どもが疲れたとき用におやつなどの “気分転換アイテム” もおすすめです。
登山は「敷居が高そう」と思われがちですが、実は最初の一歩はとても軽くていいんです。
難しい道具や知識がなくても、歩くペースさえ合わせれば、誰でも山を楽しめます。
特に親子での登山は、体を動かしながら自然に会話が生まれる “特別な時間” 。
そんな時間を、まずはゆるやかな山からはじめてみるのはどうでしょうか。
思い出に残るのは、やっぱり “趣味に登山を選んだ日々” だった

「また登りたいね」と言われたときの気持ち
登山を終えた帰り道。疲れているはずの息子がふいに、「また登ろうね」と言いました。
たったそれだけの一言が、ずっしりと心に残りました。
子どもの口から出た「また」という言葉は、楽しかったという証拠でもあり、記憶として残っている何かがあったということです。
私自身、父との登山を何十年経っても覚えているのと同じように、
もしかしたら、息子にとってもこの日がいつかふと思い出される瞬間になるのかもしれない──
そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなっちゃいます。
登山という “趣味” を再び選んだのは偶然かもしれません。
でも、そこで得られたものは偶然ではなく、ちゃんと心に残るものだったと感じています。
登山は人生に似てるなんて、今ならちょっとわかる
父がかつて言っていた「登山は人生と似てる」という言葉。
昔はよくわからなかったけれど、今になってその意味が少しずつ見えてきました。
- すぐに結果が出なくても、コツコツ進む
- 立ち止まってもいいし、休んでもいい
- 自分のペースで、自分の道を歩いていく
山の中では、誰かと比べる必要がありません。
前を行く人がいれば、少し距離をとって進めばいい。後ろを歩く人がいれば、ゆっくりでも構わない。
そんな「進み方の自由さ」が、どこか人生と重なるように感じるのです。
そして何より、ひとりで登るより、誰かと登った記憶のほうがずっと残る。
私にとってはそれが父であり、今では息子になりました。
まとめ:登山を趣味にしたわけじゃないけど、心にはしっかり残っていた
登山を趣味にしていたわけじゃありません。
でも、父と登った記憶も、息子と歩いた時間も、どれも鮮明に覚えています。
山の景色より、並んで歩いたあの感じや「また行こうね」のひと言のほうが、ずっと心に残っている気がします。
きっと登山は、思い出をつくるきっかけになってくれるものなんだと思います。
これから先も、同じように誰かと歩けたらいいな──そう思わせてくれる時間でした。